風雪よよよ旅

大衆演劇 旅芝居 寄席的なものの旅

「大道芸〜演者と観客のかけひき」2016年のみんぱく特別講演聴講メモ

(過去の書類を整理して電子化するシリーズ)
2016.9.8〜 2016.10.29 国立民族博物館で催された特別展「見世物大博覧会」の関連企画、鵜飼正樹さんによる特別講演の聴講メモより。

 

日本の大道芸をめぐる歴史

幕末〜明治初期 都市の盛り場で盛んに大道芸が演じられる(外国人による記録あり)

1960年以降 道路交通法の施行 大道芸にとって受難の始まり 交通事情の悪化 交通の妨害になる 許可制

1990〜2000年代 大道芸イベント、大道芸ライセンス制(ヘブンアーティスト

 

大道芸とは

「芸の内容」または「芸を演じる場・環境」で定義するのか?

=「演じる場・環境」で定義するとする

  1. 路上・広場など、屋外で演じられる
  2. 舞台と客席が、明確に区分されていない
  3. 芸を演じる前に料金などを徴収しない(お題は見てのおかえり)

 

大道芸の事例

ギリヤーク尼ヶ崎 1930年函館生まれ 

雪竹太郎 1969年 福岡生まれ

 

演者と観客とのかけひきという視点から大道芸を見る

屋外→環境の影響を受けやすく、観客が集中しにくい

演者と観客の距離が近い 境界を作る

入場料を取らない 足を止めさせ、最後にもらう

=駆け引きという要素が強く現れる。非常に面白い

 

準備・支度から大道芸は始まる

「芸」だけではない(ギリヤーク)

楽屋がないため、丸見え

物を置く=自分の場所を作る

期待感を煽る 人だかりは人を呼ぶ

 

大道芸は言葉に頼らない

マイクがない 声が届きにくい 

聴覚を遮断することにより、視覚に集中させる

 

大道芸はその場、環境、ハプニングを芸に取り込む

ノイズが多く、ハプニングはつきもの

それらを取り除くのではなく、芸の中に取り込んでしまう

失敗しないことよりも、失敗をどうフォローするか

 

観客を参加させる

距離が近く、あらが目につきやすい

一緒に楽しむ(ギリヤーク「よされ節」、雪竹太郎「ゲルニカ

 

演者が客席に飛び出す 

たった1本のチョークの線

「境界線」を壊すことで効果を生む

(「念仏じょんがら」、「ムンクの叫び」)

 

大道芸は最後にお金を取る

入場料によって予め囲い込めない

どのようにして気持ちよくお金を出させるか 

投げ銭徴収タイムは素顔での交流の場でもある

 

まとめ

大道芸は、舞台で演じられる芸より、1段劣ったものと見られがち
実際、環境としては劣悪と言っても良いかもしれない
しかし、大道劇人はハンディを逆手に取り、独自の演出法を工夫してきた
舞台に立てない芸人、テレビに出られない芸人が、仕方なく大道を演じていのではない
舞台え演じられる芸より1段劣った芸ではなく、独自の演じ方、楽しみ方ができるジャンル

大道芸を観に行こう
街角空間が豊かになる 人が溜まる=豊かになる

 

 

 

 

 

 

大衆との接点をさがしつづける ”貧乏の美学”〜大衆演劇とは(『旅姿 男の花道』より)

(ショーと演歌) 

では、大衆演劇と演歌は一体どうむすびつくのだろうか。大衆劇団にはなじみぶかい『釜ヶ崎人情』『花街の母』や、大衆演劇のテーマソング『お手を拝借』(船村徹作曲)を作詞したもず唱平は、門外漢であるとことわりながら、

「見せようとする芸術ではなく、見ていただく芸そのものを思考する大衆劇団の舞台には、大衆との接点をさがしつづける、僕の作詞の勉強をさせてもらっている。レコード業界が皮膚感覚をうしなう傾向にあり、演歌がその方向に追随する現在、大衆演劇のすべてを肯定しないが、観客の心をひたすら取りこもうとしする姿勢一点をみても、もっと評価されるべきだ」

と、語っている。また、作曲家の大野正雄は、『邦楽大阪・第四号』の「歌・演歌とは」と題するエッセイに、

「演歌とは即ち”貧乏の美学”なのである。日本の大部分の庶民は昔から、また戦前戦後を通じて皆貧乏だった。その貧乏な生活環境に起きる友情、恋愛、人情の機微といったものの美しさや哀愁を歌ったものが演歌なのである。したがって演歌というからには、必ず何らかの意味で貧乏という背景がつきまとっている」

と、定義づけている。この文章の演歌の箇所を大衆演劇と置きかえても、文意は見事に通じる。(中略)大衆演劇と演歌は、そのアナーキズム的な発生、漂泊、愚直さの背景、送り手のはすかいにかまえる思い入れにおいて、十分にかさなりあう。そんな気がする。

 

(橋本正樹著 『旅姿男の花道』1983 白水社 P.186より)

 

 

 

贖罪の意識

(殺人の罪で服役している人のこと)

一般的に言うと、殺人犯というのは、気が短い人間だと思われがちだが、寮内工場で出会った人たちは、そうではなかった。殺人罪で服役している8人全てが、温厚でおっとりした性格の持ち主だった。耐えに耐えて、忍びに忍ぶので、その挙句に、人を殺めてしまったのであろう。彼らは、たびたび、たちの悪い収容者からの苛めを受けていた。 「おい、人殺し。俺、生きていくのが嫌になったんで、今度、俺を殺してくれよ。一人殺すのも、二人殺すのも一緒だろ」  

 こんな挑発にも、彼らがそれを相手にすることは、ほとんどなかった。

 さらに言うと、殺人を犯してしまった者たちは、他の同囚と比べ、罪を償うという意識が非常に強かった。したがって、作業に取り組む姿勢や日常生活における態度も、きわめて実直であり、指導補助の立場からすると、手がかからない人たちでもあった。逆に、軽微な罪で服役している者ほど、わがままが多く、世話が焼けた。「ションベン刑の収容者には近寄らないほうがいい」という教育訓練工場の指導補助が言った言葉が思い起こされる。

 山本譲司著「獄窓記」第3章「塀の中の掃き溜め」より(P268〜P269)新潮文庫

 

 

2019年振り返り・大衆演劇お芝居編(4〜6)

 

 

8月 劇団鯱@鈴成り座 陽之介&政次祭り「男人情花」

やくざ渡世の義理と人情を描いた定番のお芝居。特別に凝った言い回しはなく、おなじみのセリフが続くのだけど、2人のベテラン(葵陽之介座長・朝陽政次座長)が丁々発止で演じるとどうだろう。言葉の1つ1つが異様な強度で、迫ってくる。演じる人でこうも変わるのかと、圧倒された。

親分が黒いものを白といえば白と言わねばならない渡世の世界。親分が望めば、たとえ自分の恋人であっても仲をとりもち、自分は身を引く。それが渡世人だ。しかし・・・

「わたしとこの子を連れて逃げておくれ。たとえ3日、いや、2日1日半日でもいい。親子3人、川という字で寝てみたい」

望まぬ結婚をさせられた女(美鈴華梨さん)は、毎日が地獄だった。
だからもう死ぬつもりで、最後の願いを真に愛する男にぶつけた。
男はようやく「義理」より「情」を選んで、逃亡をはかる。
すぐに追っ手がかかる。筆頭には男の弟分…

女が死に、男も自ら腹を刺す。そして最後の力で女の亡骸へと這いずって、女の顔についた血を、手ぬぐいで拭う。愛おしそうに見つめ、詫びる。この場面、観ていて胸が苦しくなるほど真に迫った。


終演後、セリフ合わせも立ち稽古も無しで(つまりぶつけ本番)上演されたと言う。「昔めちゃめちゃ怒られながらやってたんで。やってる間にもどんどん思い出すし」と、弟役の朝陽政次座長。「(祭りのメンツにかけて)もう必死」と笑う陽之介座長。ひええ。稽古なしであの舞台とは。いや、だからこそあの緊張感、臨場感。大衆演劇の底力やと思った。

若座長が、彼にとって父と父の先輩の芝居を舞台袖から見て「いつもと違うやり方で勉強になった、思わず泣いてしまった」と明かしていた。

 

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ラスト舞踊「雪女」朝陽政次座長(左)葵陽之介座長(右)
 

 

10月 桐龍座恋川劇団@朝日劇場森の石松

明るい幕開けなのに、すでにどこか悲劇の匂いがする。
そう感じられた時のお芝居は、いい。

序幕、客席通路を陽気に歩いてくる石松(二代目恋川純座長)。振り向いてニカッと笑う。1時間後には、この笑顔はもうないのだ…そんな予感がよぎって、ドキドキする。

浪曲清水次郎長伝」の一節がお芝居になった「森の石松」は悲運の物語である。親分の名代で金比羅代参の帰り、通りかかった都田村で、都鳥一家に30両貸してしまったが最後、命を狙われることに…

 

とびきり明るい性格。剣を持たせば鬼より怖いが単細胞。
清水に戻るまで絶対刀を抜くなという親分との約束を、「ど」がつくほど頑なに守り抜く、滅多斬りにされながらも。

瀕死の身体で、無傷の刀を高々と上げて喜ぶのだが、次の瞬間、途方もない孤独と「死」が、石松に襲いかかる。たった1人で死んでゆく石松が、かわいそうでかわいそうで、観ていられない場面である。

笑いあり、緊張あり。涙あり。
細やかな心理描写で、石松の気持ちが手に取るように伝わってきた。

 

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二代目恋川純座長(写真は別の月に撮影したもの)

 

12月 浪花劇団@羅い舞座堺駅前店「妻吉物語」

堀江六人斬りという実際にあった事件をもとに立てられたお芝居とのこと。
芸者の置屋山梅楼の主人(浪花三之介さん)が、妻(大川龍子さん)の浮気に激怒。酔った勢いで、刀を振りまわしたため、芸者たちが巻き添えに(妻は逃亡)。娘の妻吉(浪花めだかさん)も両腕を落とされてしまう。踊りの名手だった妻吉の運命は…。

 

3度、泣きのヤマ場がある。
1つめは「怒り」。店も家もめちゃめちゃにした母を罵る妻吉。
2つめは「絶望」。獄中の父が妻吉の腕を切ったことを知らないと知って愕然とする妻吉。「うちの腕を返して。片腕でもいい。踊る腕を返して。なあ、お父ちゃん…!」
最後、3つ目は「許し」・・・

妻吉がヤマをあげるたびに「めだか!!」とハンチョウが飛び、大きな拍手が起きる。皆泣きながら。

観終わった後、しばらく惚けてしまう舞台だった。 以前観たのは3年前だったか、その時より演出が強化されていたと思う。

女性がメインで活躍し、その脇を男性陣がしっかり締められた安定感のあるお芝居。主演のめだかさんの演技が自然。まるい声での台詞回しが、心地よい。母親役の大川龍子さんとの大詰めの時の舞台はもう異次元だ。 浪花三之介さんの「狂気」も凄まじかった。

劇中で実際に踊る場面が見たいかも。絶対に素晴らしいはず。

 

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浪花めだかさん

 

 

2019年振り返り・お笑い編

お笑いはロックだ

 

1月 吉本新喜劇「すち子の、大豪邸!サスパンツ劇場」@なんばグランド花月 座長:すっちー

新人メイドのすち子。豪邸に住む靖子は亡き夫からもらった大事な下着が亡くなったことに気づく!犯人を捜す為にすち子が心当たりのある人に事情聴取をとるが、、、果たしてその犯人は見つかるのだろうか!?
吉本新喜劇のサイトより)


1幕1景、50分くらいのお芝居。
まさか新喜劇で泣かされるとは思わなかった。 わたしだけではなく、周りからもすすり泣きが聞こえてきた。

パンツ泥棒を探すというお笑い劇なのだけど、展開が巧妙で、なんども曇天返しがある。「幽霊」が出てきたところでオチがわかったけど、それまで全然わからなかった。
最後の豪邸の未亡人役の高橋靖子さんのセリフがよかったなあ。


吉本新喜劇は、新作でもザ・昭和な世界。 舞台設定、着ている服、お金持ちの家、お抱えの運転手、庭師、刑事など、全てが昭和テイスト。 現代感はスマホを持っているところくらいだろうか。もはや時代劇枠。

すっちーネタの「乳首ドリルすな」が、すごい人気で、大衆演劇でもよく真似をされているのだけど、これってそんなに面白いかな?「日課」の飴ちゃんバラマキは楽しいな。

 

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2月 NSC大ライブOSAKA@大阪国際交流センター大ホール

よしもとのNSCスクール41期卒業生129組のなかで「誰が一番面白いか」を競うというもので、13時から始まって終わったのが20時過ぎてたから…なんと7時間。ひえ〜。でもめっちゃ面白かった。。

普段どこにいてはるの?というような、変な人しか出てこない(褒めてます^^;)かつての芸大生(S華大とか…笑)ってこんな感じやったよな〜と感慨深いでした。

優勝はラグビー芸人しんやさん。舞台袖の気配だけでもう笑いがこみ上げてしまって、大盛り上がり。「今日のラッキーボーイ」と審査員の方が言われて、まさに!だった。ネタの面白さはもちろんだけど、今日の「風」は彼に向かって吹いていた。


M-1優勝に重要なのはタイミング」とナイツの塙さんがインタビューで言ってはったけど、ほんとにそう。チャンスという「風(波?)」が来たらそれにしっかり乗れるかどうかで、明暗が分かれる。今年は自分ごとも含め、実感する。

 

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2月 R-1ぐらんぷり準決勝@なんばグランド花月

笑ったというか、泣いた。5分間のコントという枠の中で、これでもかと見せられる強烈な人間ドラマの数々。劇場という閉じた空間だから見せられる芸の数々。

全部面白かったけれど、小道具好きなので、クロスバー直撃前野悠介さんのバカバカしい小道具の数々には、お腹のかわがよじれるくらい笑った。「ハンドルを回すごとに1回腹をどつかれるマシーン」とか、もうわけらからん。笑。

沁みたのは、マツモトクラブさんの「よっちゃんラーメン」。バイトの女の子に密かに恋するラーメン屋の店長。恋の相談をラジオに投稿したところ…。今回は5分だけど、もっと長いバージョンがあるらしく、良いらしい。観たいなあ。

 

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R-1グランプリで配られた手提げ袋。お客さんが帰り道にこれを持って歩くことで番宣に

 

 

3月 カゲヤマ単独ライブ「ビッグトラブル」@渋谷∞ホール

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まずは初めての♾ホールにノックアウト。かかかかっこいい。現代の寄席小屋。

「カゲヤマ」というお笑いコンビの存在が知ったのは、とあるネットの番組での1本のコントだった。まだあまり知られていないようで、中継会場の客席も「だれ?」というような反応だった。高校サッカーの強豪校と無名校が試合するというコントで、めちゃ面白い。大ウケで、最後には拍手喝采に。ネットでコンビの活動を調べたら、ちょうど3月に単独ライブが!早速チケットを取って観に行った。大衆演劇以外で「遠征」をするのはこれが初めてだった。


芸人さんにとって「単独ライブ」が出来ることは1つの登竜門で、栄誉なこと。反面、自分たちでもチケットを売らなければならない。舞台を考えて営業もやって、って、どんだけ大変なことだろう。お客さんは100人くらいだっただろうか。関係者も多かったように見受けた。

ライブスタート。途中映像作品があったり、どれも面白くて、そこはかとない哀愁もあって。

一番こころに残った(泣けた)のは、冴えない男女のカップルのコント。ヘンテコなデートの最後で、男がターレーに乗ってプロポーズする。「わたしなんかでいいの?」女の言葉に、男は無言でターレーでくるくる、女の周りを嬉しそうにまわるのだ。ターレーはもちろん手作りの小道具で、そこに思わぬ仕掛けがあって。泣けたなあ。もう1回観たい。最後のコントも驚きの、ちょっとブラックなネタ(上の写真をよーく見ると…)。

終演後のトークで明かされた裏話。リハ中にセグウェイが壊れて、開演前にヨドバシに買いに走ったそう。値段を聞いたら、、あ、赤字やん・・・それでも絶対にやろうと決めたからと。たまらんなあ。お笑いはロックだ。「カゲヤマ」はロックだ。

 

 

 

12月 吉本新喜劇「思い出の彼はいずこへ!?」@なんばグランド花月 座長:酒井藍

土産屋の藍五郎。離れ離れになっていた同級生が突然帰ってくる。しかし人が変わってしまっていた。なぜそうなってしまったのか?そして突然帰ってきた理由とは一体・・・!?
吉本新喜劇のサイトより)

 

回想シーンを挟むのが面白くて、新喜劇にこんな演出もあるんやとびっくりした。キッカケで照明が落ちて、ベンチの2人が入れ替わる…が何度か続いて、照明がつくたびに客席が湧く。

大詰め、麻薬の運び屋の現行犯で捕まってしまう男が、昔みんなで撮った写真を大切に持っているとわかったところで、一気にほろっとさせる。 わたしもうるっとなったけど、周りからはすすり泣く声が。
・・・で、S竹であればこのままハッピーエンドにするところだけど、そうは問屋が卸さないのが吉本新喜劇。イイネ!

 

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2019年振り返り・大衆演劇舞踊編8つ

 

4月 島崎寿恵総座長「MAMA...」@ユーユーカイカ

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島崎寿恵総座長

用心棒という男性トリオが歌う、スナックのママに恋をする男の純情。コミカルだけど哀愁漂う歌詞と、コワモテの男が踊る仕草に、笑って笑って泣かされる。

島崎寿恵総座長は、男(立ち役)として踊っているのだけど、なんかもうとんでもなく色っぽいのだ。わたしも周りのお客さんもみんなぼうっとなって見入っていた。

*曲は以下のページから聴けます:

miyearnzzlabo.com

 

4月 劇団あやめ 咲之阿国さん「獅子」@九条笑楽座

踊る曲のイメージを意図したメイクに、こころが躍る。一目で曲の世界に連れて行ってもらえる。咲之阿国さんの化粧は古典舞踊の雰囲気を踏まえつつ、必ずどこかしら攻めていて、格好いい。

神楽を舞う巫女さんのように、表情を一定に保って厳粛に。流れるようだけど実はすごく複雑な舞踊のような。手獅子を操る様は、生き物をなだめあやしているようにも見えた。

(曲のタイトルは「獅子」と言っておられたと思うのですが、違うかもしれずですみません。)

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咲之阿国さん

(写真は別の日のお見送りのもの)

 

4月 劇団あやめ 姫猿之助座長「神田松五郎」@九条笑楽座

聞いたことのない浪曲?講談のようだった。控えた歌詞で検索したら「神田松五郎」という講談があった。火消しだった親が亡くなり孤児になってしまった男の子。その子を引き取る夫婦との会話劇を、舞踊で。男の子の台詞がめちゃめちゃ可愛らしい。親を亡くした男の子と、こどものいない夫婦。それぞれの思いを、演じる。舞踊というよりお芝居だった。座長のレパートリーの多さに驚かさせっぱなし。。

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猿之助座長(写真は別の日のお見送り時撮影)

 

6月 橘劇団 大五郎名作七変化パート3@篠原演芸場

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大五郎名作七変化パート3より「新出令楽」

舞台が大きな紙芝居になった!7つの物語が次から次へと表れる。超大作。観終わった後すぐにもう1回観たい!と思ってしまった。ラストの「夏祭浪花鑑」が圧巻だったのだけど、めちゃめちゃ好きなのは「新出令楽(シンデレラ)」。ネタバレになっては申し訳ないので控えます・・・ああもう1回観たい(笑)。

 

 

6月 劇団寿「翔聖まつり」@此花演劇館

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寿翔聖座長

寿翔聖座長自身が「祭り」と銘打つのはこれが初めてとのこと。絶対行かねばと思って夜の部、遅刻しながら滑り込んだら、舞台はミニショーの途中で、座長が「黒猫」というイケイケの曲を、半ば照れながら踊っているところだった。

二枚目なのにどうも「ニの線」が保てないお人柄。若座長や福丸さんからのプレゼントという着物を着て踊る時、本当に嬉しそうだった。"赤フン"もいつも以上に気合い入りで、客椅子の肘に仁王立ち。お客さんもいつも以上に盛り上げられて。「ああ、今ここには愛しかない…」そんな言葉がよぎる。笑いながらなんか泣いてしまった。

 

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寿翔聖座長

 

 

7月 樋口勝次朗さん「関の弥太っぺ」@篠原演芸場

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樋口勝次朗さん

縞の合羽に小ぶりの三度笠である。問答無用。劇場内の時が巻き戻ってゆく。

 

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樋口勝次朗さん

 

 

11月 宝海劇団 群舞「源義経絵巻物」@オーエス劇場

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宝海劇団

舞踊ショーの構成には、劇団ごとに一定のセオリーがある。わかってくると例えば「次は座長の女形で、その次は○○さんだな」など、予測しながら観るのが楽しい。

宝海劇団の舞踊ショーの構成も実に気持ちよい流れで、特に座長の個人舞踊から群舞に繋がるところは「来たぞ来たぞ」とワクワクする。

初めて聞く浪曲で、歌詞から調べて「源義経絵巻物」と推察。始めに義経(座長)が出てきて、途中から合戦のくだりになるところで、群舞になるのだけど、平家の兵士たちが舞台下手に引っ込んだと思うと、再び舞台上手から、順番にヒューンヒューンと出てくる。まるで扇を持ったインベーダーゲーム(古い^^;)。こんな風に合戦の様子を表現できるなんてと驚いた。また観たい舞踊。

 

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宝海大空座長

 

12月 劇団朱雀 早乙女太一座長「愛のかたまり〜DEEP KISS」@ぎふ葵劇場

早乙女太一二代目座長は、肩あたりの骨格が美しい。

夜の部の最終日。客席をもっと熱くさせるために飛び降り、扇をかざし、煽る煽る。顔じゅう滝のような汗。スピードが上がる。どこまで動くのだろう?どこまで飛ぶのだろう?予測できない。激しいながらも一点睨んだ眼は冴えてクールだ。リミッターを外しながらも、ギリギリのところでコントロールしているのではないか。だから暴走でなく、どこまでも美しい。フィギュアスケーターのように。

動きは、映像でも確認することができるけれど、劇場の熱気や、客席と演者とで作られた空気(信頼感?)は、その場に居ないと絶対にわからない。そして、そんな空気や熱量こそがキモで、大衆演劇の根幹であり、大衆演劇と他の舞台芸能とのハイブリッドである早乙女太一さんの最も強いところだと思った。

楽日は150%の客入りとネット情報。これも1日1日の積み重ねの賜物と想像する。2週間かけてあっためられた劇場は、混雑しても終始良い雰囲気が保たれて、居心地がよかった。

最後列まで飛ばしてくれた大入りティッシュ。嬉^^

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劇団朱雀のティッシュと当日券

 

 

 

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