風雪よよよ旅

大衆演劇 旅芝居 寄席的なものの旅

大衆との接点をさがしつづける ”貧乏の美学”〜大衆演劇とは(『旅姿 男の花道』より)

(ショーと演歌) 

では、大衆演劇と演歌は一体どうむすびつくのだろうか。大衆劇団にはなじみぶかい『釜ヶ崎人情』『花街の母』や、大衆演劇のテーマソング『お手を拝借』(船村徹作曲)を作詞したもず唱平は、門外漢であるとことわりながら、

「見せようとする芸術ではなく、見ていただく芸そのものを思考する大衆劇団の舞台には、大衆との接点をさがしつづける、僕の作詞の勉強をさせてもらっている。レコード業界が皮膚感覚をうしなう傾向にあり、演歌がその方向に追随する現在、大衆演劇のすべてを肯定しないが、観客の心をひたすら取りこもうとしする姿勢一点をみても、もっと評価されるべきだ」

と、語っている。また、作曲家の大野正雄は、『邦楽大阪・第四号』の「歌・演歌とは」と題するエッセイに、

「演歌とは即ち”貧乏の美学”なのである。日本の大部分の庶民は昔から、また戦前戦後を通じて皆貧乏だった。その貧乏な生活環境に起きる友情、恋愛、人情の機微といったものの美しさや哀愁を歌ったものが演歌なのである。したがって演歌というからには、必ず何らかの意味で貧乏という背景がつきまとっている」

と、定義づけている。この文章の演歌の箇所を大衆演劇と置きかえても、文意は見事に通じる。(中略)大衆演劇と演歌は、そのアナーキズム的な発生、漂泊、愚直さの背景、送り手のはすかいにかまえる思い入れにおいて、十分にかさなりあう。そんな気がする。

 

(橋本正樹著 『旅姿男の花道』1983 白水社 P.186より)

 

 

 

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