役者・市川英儒座長(優伎座)の気迫(舞踊編)
舞台人の特徴を表す際によく「華がある人」などと言われる。
明るい。存在感がある。華やかである。
自分が舞台人ならば、そんなふうに評してもらえたら嬉しいかもと思う。
わたしがいつも惚けて観ている役者・市川英儒座長(優伎座)は、どちらかと言うと影のある人で、目立つのは好きではなく、前に出るのを避けているように感じる。
モノトーンで、冷やりとしたイメージ。
とても不思議な光のある人だ。
光と影の両方が強い。
板の上で生きるという宿命を、自らに課した人だと、観ていて感じる。
舞台に捧げ尽くし、お客さんに捧げ尽くすような芸。
毎回、舞台から客席に向かってダイブしているように思うのだ。
立ち舞踊の英儒さんは、1970〜80年代のグラムロッカーのようである。
例えば、この出で立ちで「三線の花」というのが、エキセントリックですごく英儒さんらしい。
いつも曲の中に完全没頭し、全身でその曲の世界を表現する。
それは時として、ベタなほどのアクションに。
なのに、どこか冷静で厳格で、、心の熱い部分とせめぎ合っているような。
叫んではいないのに、聞こえるような気がする。
渾身の仕草で胸をどん!と叩くので、こちらの胸も、どん!と響く。
倒れるまで踊る!そんな覚悟が見えるから、
憑依されて、自分も踊っているような気持ちになる。
この時の客席は熱狂で、わーっと叫んで、泣いてる人もあった。
泣かせる舞踊じゃない。なのに、わたしも途中から泣いていた。
可憐な女形に定評がある。
女形では斬新な出で立ちはしない。
古風なこしらえで、ショーのうち必ず1曲、
客席から下駄をカラコロ響かせて登場する。
赤使いにこだわりを感じる。
白い着物で、最後に襦袢の赤をバッと見せる。
古典舞踊では、一転、キリッと古典の顔になる。まるで習いたての少年のように。
袴踊りの「大江戸かわら版」。
英儒さんの赤穂義士の表現には、若い哀愁がある。
ふたたび瓦版売りに戻って「武士の情けに泣いとくれ」 と、
愛嬌たっぷりに泣き真似して、腕の隙間から客席を見て、くすっと笑う。
この時の笑顔はとてもずるい(かっこいい)。
歌の心と、独特のロックスピリットが、そこにある。
*過去の写真を整理してピックアップしたので日付がだいぶ遡っていてすみません