『へちまの花』の序文
「へちまの花」
曽我廼家五郎という松竹新喜劇の一時代を築いた方が書かれたお芝居です。
山育ちの不器量な娘が、都会のイケメンに結婚を申し込まれ、兄(父)とともに彼の家までやって来たが、どうも様子がおかしい。
実はイケメンは成り行きで「嫁に来てくれ」と言ってしまっただけで、本当は不器量な田舎娘とは結婚したくない。そこで「不治の病だ」とか「借金がある」とか嘘を付いて、娘の方から断るよう仕向けるのだが、さてさて・・・
というようなストーリー。
大衆演劇の多くの劇団でかけられていて、大筋は同じでも、場所や人物設定、セリフなどが演者によって異なります。
大衆演劇の場合「今この場所で今居るメンバーで出来る」ことが最優先になるので、例えば、兄が「姉」の設定になったり、田舎の場面と都会の場面の2場面あるところ、省略して都会の場面だけで演じられたりします。
イケメンの職業は画家ですが、劇団によっては大店の若旦那になっていたりもします。
このお芝居は、結構な頻度でかけられます。
ストーリーが分かりやすいことと、少ない人数(最低5人)で出来ることと、
もう1つ、娘の不器量さで笑いが取れるから…ではないかと思います。
ブサイクを笑う、
それだけではなんにも面白くないどころか不快でしかない。
娘の不器量を蔑んだ人が、やがて冷や水を浴びせられ、考えを変えさせられるところがポイントなのだと思います。
ブサイクな顔で笑いを取ろうとするあまり、娘役が、もはや人間ちゃうやろみたいな顔で登場してきたのを観たことがあります。いくらなんでもそれはないだろうと、引きました。ちょっと変わった娘とのドタバタのやりとりも見どころだけど、最後にはきっちり泣かせる人情芝居にしなければならないので・・・
「ブス」や「ブサイク」などの侮蔑の言葉を1度も使わずに演じた劇団があります。現代の感覚に合わせて、言葉に気をつけていると見受けます。
さて、なぜ「へちまの花」なのか。
原作の脚本には、このような序文が書かれています。
へちまの花も花は花、薫(かお)りもあれば實(み)も結ぶ。
然(しか)しその實(み)は美しい濁りの渦巻く今の世に汚れを知らぬへちまの水。
よしや姿は醜くても笑ってやって下さいますな。
田舎で真っ直ぐに育った娘。
その心は、まるでへちまの水のように清らかで美しい・・・
そんな意味が込められているようです。